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大阪高等裁判所 昭和55年(ネ)64号 判決 1981年4月15日

控訴人 甲野太郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 藤修

被控訴人 八百末合名会社(旧商号・八百末青果食品合名会社)

右代表者代表社員 馬場源一

右訴訟代理人弁護士 世良琢磨

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文同旨。

二  当事者の主張

次に付加するほか、原判決事実摘示のとおり(ただし、四枚目表一行目の「裃」を「裃」に訂正する。)であるから、これを引用する。

1  控訴人

(一)  原判決は、甲野一郎が控訴人ら方裏の開き戸から本件倉庫裏の空地に出て新聞紙様の紙片に火を付けて燃やした旨の事実を認定したが、同判決挙示の証拠中にも右事実を認めるに足りるようなものは全くない。本件唯一の目撃者である関庄次郎も一郎が控訴人ら方離れの裏庭で物を燃やして上った白煙を見ているが、その後一郎が金網の開き戸から本件倉庫裏の空地に新聞紙様の紙片を持って出てそこでこれを燃やしたことは見ていない。

また原判決は、一郎が前記のとおり新聞紙様の紙片に火を付けて燃やしたのち、一日分の新聞紙様の紙片を小脇に抱えて本件倉庫の方に近づき四分ないし五分後に右紙片を持たずに空地に引き返したのを関が終始目撃していた旨の事実を認定したが、これに沿う同人の供述は信用できない。火災の危険の切迫している状況下で終始目撃していたということはありえない。一日分の新聞紙様の紙片というのもあいまいである。同人は本件火災直後近所の杉村清松に対し、一郎は新聞紙を丸めて作ったオリンピック聖火様のものに火を付けて遊んでいて、一度はすぐ消えたが、また同じようなものを作って火を付けて遊んでいた旨その後の供述とは異なることを述べており、一貫性がない。当時本件倉庫裏の空地はごみ捨て場で、繁茂して枯れた藪枯等のつる草の累積した下に薬瓶・割れ瓦・腐った木材等が捨てられており、大人でも足下を確めなければ倉庫に近づくことはできなかったのであるから、当時六歳の一郎が近づけるはずはなかった。関が右空地を通る一郎を見たというのであれば、それは関の錯覚か想像以外のなにものでもない。

(二)  本件倉庫には当日午前中から被控訴人方従業員石山丈夫・宮野光雄の二名が出入りし、その間倉庫内で三回にわたってタバコを吸っており、午後一時四五分ころシャッターを閉めて退去し、午後二時すぎに出火しているのである。一方一郎は遅くとも午後一時三〇分ころまでに家を出て午後一時四五分ころには母である控訴人花子の勤務先の郵便局に到着している。関も控訴人ら方の方向で白い煙を見たのは午後一時三〇分ころであり、一郎が倉庫の方に行って帰って来るのに三分から五分かかったというのであるから、関の供述によっても一郎は遅くとも午後一時三五分ころまでしか倉庫付近には居なかったことになる。当日は北西の風が吹いており、燃えやすい物が山積していた倉庫北軒下での一郎の火遊びが本件火災の原因とすると、火の回りは早く、午後二時すぎの出火ということはありえず、現に午後一時四五分に退去した石山丈夫・宮野光雄らさえも出火に気付いていないのである。本件火災は右両名のタバコの火の不始末が原因と見る方が合理的である。

また、本件火災現場は南面より北面の方が炭化の度が大きいが、これだけでは出火場所が倉庫外部と見ることはできない。消防署も出火場所を内外いずれとも断定していない。しかし内部が激しく焼燬していることにより、むしろ内部からの出火と見るべきである。そうすると当時本件倉庫北側の間口一・八メートルの出入口はその木戸に外から斜十字にかんぬきが掛けられ、更に内から罐詰の入ったダンボール箱二個で支えられ、外部からの出入りは不可能な状態にあり、一郎は倉庫北側空地から右出火地点に到達できなかったのであるから、同人は本件出火と関係がない。

(三)  原判決は、一郎が本件火災の翌々日火の付いたタバコを持っていてとがめられたことにより同人に弄火癖があるとし、これをもって本件失火者を同人とする間接事実と見るが、火の付いたタバコは喫煙者だけが手にするもので、これを玩具にする子供はなく、タバコの火を危いと教えられていた一郎は心ない喫煙者の捨てた道路上の火の付いたタバコを拾って処分しようとしたものにすぎず、原判決の右事実の解釈・評価は誤っている。

(四)  控訴人らは、一郎を下校後毎日そのまま控訴人花子の勤務先の郵便局に来させて自習等をさせ、同控訴人の退勤時ともに帰宅するようにしており、控訴人らの不在中いわゆる鍵っ子にして留守番させていたものでなく、常に監督指導には十分の注意をしており、本件当日は雨天のため鞄を家に置いたうえ学校からの連絡袋だけを同控訴人の勤務先に持参させたのであって、注意に欠けるところはなかった。

2  被控訴人

控訴人花子が職場に居る間一郎を十分監督していたか否かは本件と関係がない。一郎は日ごろ下校後直ちに同控訴人の職場に赴いていたわけでなく、現に本件当日も自宅に帰っている。そして一郎は本件当日自宅に帰った際、控訴人ら方裏庭であったか被控訴人方倉庫裏の空地であったかはともかく、新聞紙を燃やして火遊びをしていたことは控訴人らも認めるところであり、その翌々日火災跡整理中の本件倉庫の裏空地で火の付いたタバコをもてあそんでおり、更にかつて近所の知恵遅れの女の子と火遊びをしている。控訴人らは一郎を独り家に残さなければならないようなことがあるとすれば、近所の人に辞を低くして一郎の行動に留意するよう依頼すべきであるのに、これを怠っていたのであるから、一郎に対する監督に落度のあったことは明白である。

三  証拠関係《省略》

理由

一  滋賀県彦根市《番地省略》所在の木造瓦葺平家建倉庫一棟(一六・六坪)が昭和四〇年四月二三日火災に遭い、その中の商品等とともに焼失したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、右倉庫及び商品等がいずれも被控訴人の所有であった事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  甲野一郎が控訴人らの子であることは当事者間に争いがないところ、被控訴人は本件火災は一郎の火遊びによるものである旨主張するので、右主張について判断する。

1  《証拠省略》によると、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一)  本件火災の出火時刻は昭和四〇年四月二三日午後一時四五分ころと推定され、火元建物は本件倉庫(実測五六平方メートル)で、東隣の同市《番地省略》の控訴人ら方木造瓦葺二階建居宅(延床面積一七五平方メートル)及び西隣の《番地省略》の北村さだ方木造瓦葺二階建居宅(延床面積二七七・二平方メートル)の各一部を延焼した。

(二)  本件倉庫は壁はコワ板張り、屋根は瓦葺一部トタン葺であるところ、その焼燬の状態は屋根・内在物とも南側より北側、特に北東側のコワ板・商品において著しく、北側入口付近は木戸一枚を残して完全に焼失し、東側のコワ板は床面から約一メートルは原形を残したのに対し、それより上部は焼失しており、右焼燬の状態から右倉庫北側出入口東側木戸付近が出火場所と推定された。しかしその焼燬状態自体からは出火地点が右出入口の内・外部のいずれかは判別できなかった。

(三)  右倉庫の北側には間口一・八メートルの出入口があったが、本件火災当時右出入口の木戸は閉められたうえ、斜十字にかんぬきが掛けられ、更に内側から右木戸を固定するため罐詰の入ったダンボール箱二個が積み上げられていたので、右出入口を通って倉庫に出入りすることは不可能な状態にあった。したがって倉庫内から右出火地点付近に到達するには右ダンボール箱を移動させたとしても北側出入口の木戸内側までであって、その外側に出ることはできなかった。一方右倉庫の正面出入口は南側道路に面し、その北側は被控訴人所有の空地に面していたが、右空地の東側は控訴人ら方、西側は北村方の各裏庭に接し、控訴人ら裏庭からはその境界に設けられた金網の中の開き戸から出入りができ、北村方裏庭からは境界上の工作物がないので自由に出入りができた。したがって控訴人ら及び北村の家族が右空地を通って右倉庫北側出入口の木戸外側に到達することに困難はなかった。

(四)  本件倉庫の北側にはトタンの庇(一二・七平方メートル)が差し掛けられていて、その下には被控訴人所有のダンボールの空箱・藁・縄屑等が積み上げられており、その北側の前記空地は荒地のまま放置されていたが、控訴人ら方裏庭に接する一部は同人らが前記金網中の開き戸を通って同所に出て草花を植栽していた。

(五)  本件出火の第一発見者は西隣の前記北村さだで、同人は同日午後二時前ころ本件倉庫北側庇付近から同人方居宅に燃え移っているのを発見し、ほぼそのころ本件倉庫の南面道路を挾んで南東の隣家に来ていて出火を知った牧野一郎がこれを消防署に通報した。

(六)  本件火災当時は雨が断続的に降り、湿度は九六パーセントであったので、火の回りは遅く、また秒速一・五メートルではあるが、北西の風が吹いていたので、前記出火地点からの火はどちらかといえば南東に燃え広がる状態にあった。

2  《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

(一)  一郎は昭和四〇年四月入学したばかりの小学校一年生で、本件火災当日午後一時ころ下校して帰宅し、向いの牧野一郎方からO郵便局に出勤中の母控訴人花子に電話連絡したうえ、当時階下表側部分を間借りしていた乙山星子に声を掛けて奥の自宅に戻り、間もなくして同控訴人指示のとおり鞄を置き学校からの連絡袋を新聞紙に包んでこれを携え自宅を出て午後二時前ころ右郵便局の同控訴人の下に着いた。

(二)  一郎は右のとおり自宅に居た間、新聞紙を屋外に持ち出し、これにマッチで火を付けて燃やした。

(三)  本件倉庫の西隣北村方の更に西隣は関庄次郎(明治三五年四月一一日生、当時六三歳)方で、同人方の勝手口の窓から右倉庫北側の空地を、その南端倉庫寄りの一部を除いて見渡せる(空地の東端まで約一六メートル)が、同人は本件火災当日の午後一時三〇分すぎころ右勝手口の窓から一郎の燃やした新聞紙の白煙が控訴人ら方裏庭と本件空地との境界付近において幅約一メートルで家の高さくらいまで上っているのを見たので、急いで右勝手口窓の前に出たところ、一郎が朝刊一日分くらいの新聞紙様の紙片を小脇に抱えて金網の開き戸をくぐって本件空地に出て倉庫の方に歩いて行き、四、五分後に右紙片を持たずに空地に引き返し、右金網の開き戸をくぐって自宅に帰ったのを目撃した。そして関はその後しばらくして(遅くとも三〇分以内)に本件火災の発生を知った。

(四)  関は右火災直後出火の原因が被控訴人方従業員のタバコの火の不始末との噂を聞いたが、目撃した一郎の前記行動から出火の原因は同人の火遊びによるものと考え近所の杉村清松にその旨漏らしたところ、同人から軽々に他言しないよう注意されたので差しあたりこれに従ったものの、その後熟考したのち、右目撃状況を黙過すべきでないと決意し、翌々二五日町内会長牧野一郎の了解の下に同人方から警察に右目撃状況を通報した。

(五)  一郎は本件火災の翌々二五日午前一一時すぎころ本件空地で火の付いたタバコを持っていたのを近所の牧野とみに見付けられ同人から注意を受けた。

《証拠判断省略》

3  右1、2の各事実によると、一郎が本件出火地点と推定される所の付近で右出火の原因となるような火遊びをしたのを目撃した者はいないが、右出火前関に目撃された火遊びを含む一郎の行動及び本件火災の客観的状況を考え合わせると、同人が本件出火地点と推定される範囲内にある本件倉庫北側庇下付近でも火遊びをしたこと、そして右火遊びと本件火災との間には因果関係のあることを肯認するに妨げないものと考えられる。

4  控訴人らは、本件火災は一郎の火遊びに基因するものではないとし、(ア)関の供述は消防署・警察署・裁判所を通じて一貫性がなく信憑性に欠けること、(イ)当時本件倉庫北側の空地は足下が悪く、六歳の一郎が同所を通って出火地点と推定されている右倉庫北側付近に到達することは不可能であったこと、(ウ)仮に到達できたとしても焼燬状態から見て出火地点は倉庫内部であるところ、右倉庫北出入口はそのころ閉鎖されていたので、一郎が出火地点に到達することは不可能であったこと、(エ)一郎は当日遅くとも午後一時三〇分ころには家を出て午後一時四五分ころには控訴人花子の勤務先の郵便局に着いているので、午後二時すぎに出火したと思われる本件火災の原因を生ぜしめたはずはないこと、(オ)本件出火の原因は被控訴人方従業員の右倉庫内でのタバコの火の不始末であること、(カ)本件火災の翌々日一郎が火の付いたタバコを持っていたのは、道路上に捨てられた右タバコを危険と考え処分しようとしただけのことで同人に弄火癖などはないこと、を主張するので、右各主張について検討する。

(一)  《証拠省略》によると、関は消防署・警察署における取調べにおいて、また原審証人として一貫して前記2の(三)で認定の事実を述べており、その間に齟齬はない。右各証拠によると、関の右供述は真摯で、これが一郎ひいては控訴人らに重大な不利益を及ぼすことを考慮しながらもあえて供述していることが認められ、右供述の信憑性には疑いを挾みえない。したがって右(ア)の主張は採用できない。

(二)  《証拠省略》によると、本件火災当時本件空地は人の出入りのほとんどない荒地で、足下の悪い状態にあったことが認められるが、一郎が自宅裏庭から右空地を通って本件倉庫北側の庇の下に到達できなかったものとは認められない。右認定は、前記書証・検証がすべて本件火災後の右空地の状態に関するものであることを考慮したとしても左右しない。したがって右(イ)の主張は採用できない。

(三)  本件出火地点が倉庫内部と認められず、むしろ倉庫外部であることは前記3のとおりである。そうすると出火地点が倉庫内部であることを前提とする右(ウ)の主張は採用できない。

(四)  一郎が本件火災当日下校して帰宅したのち、自宅を出て控訴人花子の勤務する郵便局に赴いた際の時間的関係は前記2の(一)で認定のとおりである。《証拠省略》中には、控訴人ら方表側の部屋を間借りしていた乙山星子は一郎が当日午後一時ころ帰宅し、小用を足す程度の短い間自宅に居ただけで間もなく自宅を出て控訴人花子の下に赴いたのを目撃した旨の記載があるが、右は、乙山星子自身当時病後静養中で時間の認識があいまいであったことを認めているほか、一郎の在宅時間が小用を足す程度のものでなく、現に2の(二)で認定のとおり火遊びをしていた事実に照らし、信用できず、また《証拠省略》中には、一郎が郵便局に到着したのは午後一時四五分ころとの供述部分があるが、右は、これを裏付ける証拠がないので信用できない。そして本件出火時刻は前記1の(一)で認定したとおり午後一時四五分ころと認められるから、本件出火の原因が一郎にあると見てもなんら矛盾はない。したがって一郎が午後一時四五分ころには控訴人花子の下に到着し、出火時刻が午後二時すぎであることを前提とする右(エ)の主張は採用できない。

(五)  《証拠省略》によると、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 被控訴人方従業員石山丈夫は同宮野光雄とともに、本件火災当日の午後零時ころ本件倉庫に商品を入れた際同倉庫内でタバコを吸い、更に右両名は同日午後一時三〇分ころ同倉庫から商品を出した際同倉庫内でともにタバコを吸った。

(2) 右タバコを吸った場所は同倉庫内部の状態(東西両側及び北側出入口付近には商品の入ったダンボール箱が積み上げられている。)から、中央南寄りの地点であり、本件出火地点と推定された所からは離れていた。

(3) 石山・宮野は当日午後一時四五分ころ倉庫南側の表出入口のシャッターを閉めて右倉庫を離れたが、そのころ倉庫内には出火をうかがわせるような徴候はなかった。その後間もなくして本件火災を倉庫西隣の北村さだが倉庫の西北方から発見した。

右事実によると、前記認定の本件出火の時刻と場所との関係において、石山・宮野のタバコの火の不始末が本件出火の原因となっているものとは認められない。すなわち、同人らは右出火地点と推定されている所に容易に近づくことができず、火の付いたままのタバコを倉庫内の北端の出火地点付近に向って投棄でもしない限り本件出火の原因を与えることは困難であるが、同人らがこのような行動をしたことを認めるに足りる証拠はない。したがって右(オ)の主張は採用できない。

(六)  一郎が本件火災の翌々日の午前一一時すぎころ本件空地で火の付いたタバコを持っていたのは、路上に捨てられていたのを危険と考え処分したとの事実はこれを認めるに足りる証拠はない。六歳の児童が控訴人ら主張のような思慮深い行為をしたと認めるにはこれをうかがうに足りるような事実の立証がない以上困難である。したがって右(カ)の主張は採用できない。

5  控訴人らにおいて前記3の推認を覆えす事情として主張した点はいずれも採用できず、その他本件出火の原因が放火・漏電等一郎の火遊び以外のものであることを推認するに足りる証拠もないので、本件出火は一郎の火遊びによるものと認めるのが相当である。

三  控訴人らの本件火災の責任について判断する。

1  《証拠省略》によると、一郎は昭和三三年五月一八日生れで本件火災当時六歳であった事実が認められるところ、六歳の者は火遊びによって惹起した結果について責任を弁識するに足りる知能を有しないものというべきであるから、同人は本件出火によって被控訴人に対し加えた損害について賠償の責任はなく、したがって一郎について不法行為は成立しない。

2  控訴人らは責任無能力者である一郎の両親として同人を監督すべき法定の義務がある者であるから、民法七一四条一項本文により、一郎が被控訴人に対し加えた損害につきこれを賠償すべき義務があるものというべきである。

3  控訴人らは一郎に対する監督の義務を怠らなかったので、同条同項但書により、右2の責任を免れる旨主張する。

ところで「失火ノ責任ニ関スル法律」によると、失火の場合には一般の不法行為の成立要件と異なり軽過失は免責され故意又は重過失の場合に限って不法行為責任を負うものとされているから、失火者が責任無能力の未成年者でその法定の監督義務者が失火の結果について責任を負う場合、同人の監督についても軽過失は免責され、故意又は重過失の場合に限って責任を負うものと解すべきである。したがって本件において控訴人らの一郎に対する監督について故意又は重過失がなければ責任を免れるということができるから、右免責事由の有無について検討する。

《証拠省略》によると、控訴人太郎はP市内のP郵便局に単身赴任し二週間に約一回帰宅するだけであり、控訴人花子は彦根市内のO郵便局に勤務しているため、他に家族のいない一郎は下校後直ちに控訴人花子の勤務先に赴いて、同所及び付近の親戚方で時間を過し、同控訴人の退勤時一緒に帰宅することが多かったが、本件火災当日はたまたま雨が降っていたため鞄を置きにいったん自宅に帰らせたものであり、平素は一郎だけ自宅で留守をさせるようなことはなく、控訴人らにおいて一郎の監督については常にそれなりの注意を払っていた。しかし控訴人らは同人らの留守中一郎が自宅に入るについては同居者又は近隣の者その他に特に監督を依頼することはなかった事実が認められる。ところで子供の火遊びについての注意は親として最も基本的なもので、これは日常生活を共にしている親であれば子供の性格や行動についてわずかな注意を払うことによりその兆候を察知し、これを未然にやめさせることができるものと考えられるほか、両親不在の自宅に未だ六歳の子供を一人で入らせるにはそれ相当の対応が必要で、近隣の者その他適当な者に監督を依頼するなどわずかな注意を払えば少なくとも自宅内又はその近辺での火遊びなどは未然に防ぎえたものと考えられるところ、控訴人らはこれら注意義務を怠った(《証拠省略》によると、控訴人花子は、一郎の本件火災当日のたき火は前日控訴人ら方に下宿中の大学生が裏庭で手紙類を燃やしてたき火をしていたのを見て関心を持ったことによると考えていることが認められる。そうすると同控訴人は右前日のたき火の際の一郎のこれに対する関心の程度に気付き、同人に対する訓戒を含め適切な対応をすべきであり、かつ、これをなすことは容易であったと思われるが、これがなされたものとも認められない。)ため本件火災に至ったものであるから、控訴人らには一郎の監督につき重大な過失があったものと認められる。

4  そうすると、控訴人らは一郎の本件加害行為によって被控訴人の被った損害を賠償すべき義務がある。

四  被控訴人の損害について判断する。

被控訴人が本件火災によって被った損害についての判断は、原判決一一枚目表三行目から同一〇行目までの間にある括弧内及び一二枚目表五行目から同一一行目までの間にある括弧内をいずれも削除するほか、同判決理由中損害についての説示(一〇枚目表一〇行目から一三枚目表三行目まで)と同じであるから、これを引用する。

五  そうすると、控訴人らは不真正連帯債務者として被控訴人に対し各自一五四万四二八七円及びこれに対する不法行為の日の後で、訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四〇年九月一〇日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務のあることが明らかであるから、被控訴人の本訴請求は右限度で認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よって、右と同旨の原判決に対する本件各控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高田政彦 古川正孝 裁判長裁判官村瀬泰三は退官のため署名捺印できない。裁判官 高田政彦)

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